羽純さんの近況報告

4月5日(母:乃里枝さんより)

羽純を早く日本に連れて帰りたい。
ここでは見るもの全てが羽純です。
シアトルの人は優しくしてくれました。
羽純を愛してくれた人たちがアパートに訪れ、一緒に悲しんでくれます。
こんなに愛されて大事にされてとても幸せです。

渡航直後は歩く事もできなかったのに私たち一緒に歩く事もで笑う事もできました。
この事は羽純を支えてくださった
皆さん、応援してくださった皆さん、
熱心に羽純の体をフォローしてくださった先生、看護師の皆さんのおかげです。
心から感謝しています。
有難うございます。

何事もない1日ばかりでしたが、それが幸せだったと感じています。
どの日も羽純との大事な毎日でした。
注射が痛くて大きな目から涙を流していたけど麻酔にかかった状態だったのでちっとも苦しくなかったのだと思います。
手術前はストレッチャーに乗った羽純といつものように「いってらっしゃい」とハイタッチをしました。




何事もない1日ばかりでしたが、
それが幸せだったと感じています。

眼鏡と腕にしていた髪ゴムを
「持ってて」と渡されたままです。
全部いつもと同じだったはずなのに・・・。

テーブルの上には作りかけのお雛様を飾っています。
ここまで出来上がりました。
見てください。
皆さん、褒めてくださるんですよ。

皆さん有難うございます。
シアトルより
                  井口乃里枝

3月20日(母:乃里枝さんより羽純さんの近況)

おひな祭りには間に合いませんでしたが体調のいい時にほんとうに
無理せず、ゆっくり制作中です。
ぜひ見て下さい。
先日、夏志聡さんとのFM西東京の収録が和やかに行うことが出来ました。
木村さんの電話でのまなざし(?)が父親っぽくて娘として話をされていると
羽純が言っていました。
皆さんに気を使っていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
写真も添付いたします。

3月12日(母:乃里枝さんより羽純さんの近況)

血液検査の数字は良好で薬の調整もうまく行っているようです。
家の中にいることがほとんどなので週1の外来もドクターと通訳さんと
お話をすることが楽しみのひとつです。
先日はFM西東京の電話ゲスト出演の収録が無事に終わりました。
羽純自身もものすごく緊張したと言っていました。
FM西東京の夏志聡さんのおかげで終始笑顔で話していました。

3月7日 (母:乃里枝さんより羽純さんの近況)

今夜のおかずは羽純の好きなトン汁でした。
嘔吐の心配があるので
あまり無理して食べて欲しくはないのですが。
午後は相変わらずお雛様の制作に夢中でした。
「あと少し」といいながら・・・。
少し疲れたのか、
夕食の最中にも食べながらウトウト眠りそうな様子でした。
食べ終わり「トン汁お替りするから・・・」と言ったまま、
ぐっすり眠りこけてしまいました(笑)

これが20歳の人なのかと思うと・・・。
まるで幼い子どものようです。
振り返れば一番上に生まれて
あっという間に20歳になってしまったようです。
こんな時間も神様がくれたのかなって気がします。

2月26日 (母:乃里枝さんより羽純さんの近況)

羽純の歩行訓練が定着してきました。
食欲も出てきたようでおかげさまで体重も39kg台になりました。
毎日の日課として羽純と散歩をしていますが、
今日はひとつめの目標であるコンビニ(こちらではコンビニとはいいませんが)
まで足を伸ばすことができました。
体力をつけるため徐々に距離を延ばしていけたらと頑張っています。

2月7日 (羽純さん→応援してくれている皆様へ)

救う会の皆さん、私を応援してくれている皆さん、お久しぶりです。
ここしばらくシアトルは、あまり天気がよくありません。
いつも曇りか、雨ばかりです。そのせいか最近の私の体調はあまり
良いものではありません。でも、心配しないでください。

ただ悪いだけで、また入院しなくてはいけないとか、母や叔母にいつも
以上に介護をしてもらわなくてはならないわけではありません。
以前入院しているときはベッドの横に簡易トイレを置いてもらわなければ
ならない程でしたが、今はトイレにだって1人で行けます。
(ちょっと小さい子のように聞こえるかもしれませんが…(^_^;))

それに何よりも、自分でパソコンを打てているので皆さんが
思っているよりも多分元気なので心配なさらないでください。

1月31日 (母:乃里枝さんより羽純さんの近況)

退院時に比べてシャワーの回数もほんの少しですが、増えてきました。
こちらも羽純の体力と相談しながらです。
シャワーのあとの羽純はとても気持ちよさそうでいつまでも髪の毛をとかしています。

食事の前後に関係なく、多いときには日に何度か嘔吐してしまうので
少しずつ食事をしています。
バド(補助人工心臓)を入れてからはスクリューの回転が悪くなるのでそのためにも
水分は2リットル飲むように言われていますが、
以前とは逆でたくさん飲まないといけません。
たくさん飲まなくてはいけないことも制限と言うのでしょうね。
嬉しいはずの水分も嘔吐の心配をしながらできるだけ飲むようにしています。

そういえば、
昨日突然羽純が「お腹のスクリューが動いているのが
聴診器をあてなくても分かるよ、触ってみて!!」
「今ごろ、何言ってるの」
と触ってみたらマッサージ機のように
細かくブルブルと振動していました。
「羽純のバド頑張ってるね!!」と笑っちゃいましたけど。

1月11日 (羽純さんの近況)

あけましておめでとうございます。

シアトルでは、年明けのときニードルタワーのきれいな花火を
テレビで見ました。私が見た感じでは、日本の方が迫力があり
良いものに思えます。早く移植を終えて、日本に帰り、富士と桜と花火が見たいものです。
今年も引き続き応援をよろしくお願いします。
送った写真はクリスマスの前に包装紙を使って作った飾りです

雪の結晶は私が作りました。
切った部分が繋がらないようにはさみを入れるところが難しかったのですが、15個作ったのでそのうちうまくいくようになりました。見てください。 

●羽純さんからの成人式に向けてのメッセージです。
  JPEGファイル ・ PDFファイル

12月28日 (羽純さんの近況)

自宅のアパートで手術に備え筋力 体力をつけるため歩行練習を毎日頑張っています。


12月10日 (母:乃里枝さんより)

待ちに待った一時退院ができました。
昨日は近くまで散歩に出たり、シャワーを浴びたりと、
とても良い状態が続き嬉しい限りです。
アパートのベットでも、病気に関係なく相変わらず良く寝ます。
起きている時は、いただいたお便りを読んで、明るい笑顔の羽純がいます。
羽純を応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。 


12月5日 (母:乃里枝さんより)

こちらはAM11時半です。
急遽退院予定となり、 冬ごもりの熊みたいに食材を買いに走りまわっています。
退院すると羽純を家において買い物に行くのは心配だからです。
連れて出るのも当分心配です。

バド(人口補助心臓)用のバッテリーは約3時間で、一応交換用のバッテリーは
持ち歩くものの雑踏の中でアラームが聞こえなかったら等、心配要素が多いです。
お天気の良い時に散歩ぐらいは出たいと思いますが・・・

12月3日 (母:乃里枝さんより)

久しぶりにいい知らせです。
たった今、補助人工心臓の先生がみえて、 12月5日(月)に退院の予定となりました。
顔色がよく食事をしたり、歩いたりです。 またメールします。 

11月25日 (母:乃里枝さん→応援してくれている皆様へのMail)

25日 羽純の鼻チューブが抜けました。話もしやすくなり、おにぎりと味噌汁の食事が
ようやく取れるようになりました。しかし、脇腹とおなかの痛みが強くて、歩行練習は
いさみ足状態です。
ここのところ 渋い顔ばかりの羽純ですが、「ホームページからの問い合わせ」に
寄せて下さっている励ましの言葉のひとつひとつに反応して、久々に笑顔を見せてくれました。
羽純を応援して下さる皆様、おおきな力を与えて下さり、本当にありがとうございます。

11月20日 (母:乃里枝さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

お蔭様で退院できたのも束の間、翌日の朝からだるいと言い出しました。
再び、病院で診察を受けた結果 「腸閉塞」 と診断されました。ドクターからの
話しですと10月に結腸の手術をしたので、術後にはかかりやすいものだそうです。
治療は鼻から胃までチューブを通すことになるので、食事も水分も
口からは摂取できなくて辛そうです。そんな状態でも、筋力向上のために
歩行訓練を頑張っている羽純です。

11月15日 (母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

補助人口心臓装置をつけて退院
アパートでドナーを待つこととなりました。

11月5日 (母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

『今日はバド(補助人工心臓)の口頭でのテストが終わり
8日にはバドの実施訓練をする予定です。
カフェテリアまで車椅子で連れて行き少しは歩くかも
しれません。そこで訓練をして自信をつけていく
というわけです。病棟の外にでることがあまりない
ので羽純にとっていい刺激になったらいいと思ってます。

何度か訓練を受けてから退院となりますが、なんと
退院目標日が11月15日となりました!『こちらでは
入院費が高いのでアパートにてドナーを待つことになります。』

(この日は渡航2ヶ月目です)ワーカーなしで右手は
つかまりながら歩き始めたばかりなのは前回書いたよね。
1日目は5メートルくらいで引き返してくるくらいでしたが、
今日で3日目。一歩一歩踏みしめています。
ここの病棟に来て同じくバドを入れたおじさんと友達になり、端っこ同士ですが、
目標にしていたおじさんの部屋に顔を見せることが出来ました。
言葉は通じないけど励ましあっている視線が横にいて感じましたっ!
部屋に帰ると痛み止めとワーキングの疲れですぐに眠ってしまいます。』



11月2日
(羽純さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

『ここの病院は、(ほぼ)とても看護婦さんが優しいです!
どこが優しいかというと日本語をドアの向こうで練習してから
入ってくるのが聞こえちゃったり、ICUにいる看護婦さんが
一般病棟にいる私の顔を見るためだけに会いに来てくれたり、
私たちの為にマフィンを作ってきてくれたり、
私が「食べられるようになったらチョコチップクッキーを
食べたいぁーい!!」といったら本当に作ってくれたり、
スゴクおいしかったです☆

ドクターが日本の物を(こっちでは高いんですよぉ)
プレゼントしてくれたりととても気にかけてくれて涙が
出るほど嬉しいです。
あらためて幸せ者だなぁと思いました!

最後に皆さん何気なく生活していると思いますが、
その何気なさが幸せなんですよ!
今、頭をかかえて悩んでる人、人生
つまんないなぁ〜と思っている人、
今までずーっと幸せじゃないってコトはないと思います!!
それに今が幸せなんです!!
とにかく私が言いたいコトは自分や家族、
他人の命は大切に!

これをモットーに(?)皆さんこれからも私と一緒に
がんばっていきましょう!
そして一緒に全員で幸せになりましょう!!
(エラソーに聞こえたらゴメンナサイ)』       羽純

10月30日 (羽純さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

皆様へ
『調子いいです。!!最近ウォーカーで歩きまくってるはすみだよん!
なんかもうちょっとでゆっくりだけど、ウォーカーなしで歩けそうな感じです。!
一般病棟ははICUよりキレイな感じです。
英語はまだまだです、今はっきりいえるコトはきっと帰ってくるまでには英語は
覚えられない気がします・・・。ダメですね...でも精一杯頑張ります。
これからも応援してください。』  羽純

10月28日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

パパへ 「とり急ぎ。今日 ICUから一般病棟に移りました。ICUのナースとは
同じ階なのに別れ際に抱き合って涙が出そうになりました。」病棟が
移動のためパソコンを持ち帰ったので携帯メールで失礼します。

10月28日(羽純さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

皆様へ
『気分の良い時は、自分で髪を結べるようになりました。
でもまだ簡単なのしかできません・・・(涙)
少し元気になったみたいなので髪のオシャレを楽しんでいます。
結ぶたびにナースが「かわいい」といってくれるのでそんなことを
いわれたことがない私は喜んでいます(笑)』

10月20日(羽純さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

『こんなわたしですが、皆さんの応援で心が温まりました。
たくさんの人に助けてもらって私は幸せものです。
何回も手術をしてちょっと傷が痛みますが、
応援してくれる皆さんの期待を裏切らないようにがんばっていこうと思います。
これからも応援お願いいたします。羽純』

(母:乃里枝さん→応援してくれている皆様へのMail原文)

『渡航日から早くも1ヶ月が経ちました。
募金活動やチャリティーコンサート、たくさんの激励の言葉ありがとうございます。
インターネットの中でもたくさんの方たちに支えられていることを知り、
羽純と毎日感激しながら読ませていただいています。
海の向こうからたくさんの声に励まされていることを痛いほど感じています。
皆さんほんとうに有難うございます。
現実に押しつぶされそうな時もありますが、
羽純の明るさに支えられている毎日です。
離れてはおりますが、引き続きHPを観て応援してください。乃里枝』

10月10日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

「ちょっと間が空いてしまいました。今日も10月10日に左脇腹のチューブを抜きました。抜いた傷が痛むようです。 昨日、検査の結果、腸に潰瘍が見つかりました。
出血はしていなくて、血液の流れが原因なので、血圧を上げる薬で大丈夫だそうです。
明日は手首の点滴のチューブを外して、心臓に近いところに入れ直します。その方が詰まりにくいのだそうです。
私が病室に行くと羽純は椅子に座っていました。毎日少しずつ病室を出て歩く練習をしています。「今日は1週とちょっと歩けて、廊下に貼ってある犬の写真が見れた」と喜んでいました。さっき飲んだ痛み止めが効いてきたようで、あゆのCDを聴きながら、椅子で眠っています。
しばらく食事を止められていたのでその間は点滴がご飯でした。今日から待望の食事を口にすることができました。栄養士さんも羽純の食べられるものをと一生懸命です。何が食べたい?に「お母さんのご飯、梅干おにぎり」と言われました。
栄養士さんごめんなさい。

10月5日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail)
      
こっちで犬夜叉をTVでみることができます。昨日からあゆの歌(主題歌)も歌うほどです。寒くて掛け布団を肩までかけてます。

10月3日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

パパへ
こちらのドクターもナースもほんとに羽純が痛くないように最新の注意を払ってくれています。
私の言葉も理解しようとしてくれますし、できるだけ易しい英語を使ってくれます。
すれ違うと必ず声をかけてくれるナースがいて、大きな体で抱きしめてくれる女のドクターもいます。
日本人のドクターもナースとうまくいかない羽純に僕から話をしてあげるよいってくれます。
日本にいる以上に羽純の様態は緊張の連続ですが、こちらのドクターやナースをみれば
パパも信用できると思います。

10月1日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

パパへ
羽純は脇腹から出血していたので再再度太いチューブをいれました。
体内の溜まった血液の掃除をしました。寝ている間だったので全く痛みを感じなかったようです。
こちらには2人の日本人の先生がいらしゃってどちらもたいへん信頼しています。
なんでも困ったことは相談してくださいと言われて力になってくれてます。
日本人の先生が手術してくれれば日本語で話しかけてくれるし、手術も痛くないと絶賛です。手術の翌日で痛がっていましたが、座らなければいけません。
実は今回太いチューブにしたためにあばら骨まで切ったそうです。
本人曰く、座るのが嫌なのではなくてどうしても今日は痛くてできないんだ。
痛み止めの薬さえくれれば椅子にも座ったりするよ。といいながら痛み止めの薬が効いてからは積極的に座っていました。
少しずつナースやドクターともコミュニケーションが取れてきました。

9月27日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

肺に水が溜まっていたのでさっき、夜の9時にチューブを入れて抜きました。
ここ数日間、息苦しいと訴えており、今朝先生よりお話をいただきました。本人が怖さのあまり全身麻酔を希望しましたが、別の選択はできないといわれ(眠る薬と痛み止めの薬)この時間になりました。看護士さんが日本語で丁寧に説得をしてくださったのとちょっと日本語らしくない言葉と看護士さんの一生懸命さにその場にいたみんなが笑い出してしまいました。
感謝の一言です。そうはいっても直前まで苦 しさと怖さで震えていました。
治療は15分位で終わり苦しくて食べられなかった食事を「後で食べるからとっておいて」と言って眠ってしまいました。もぉー心配したよぉ〜。

9月22日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

今週木曜日頃、キッチンが付いて病院に近い、1日17ドル(?)の住まいにひっこします。病院の紹介なので信用できると思います。あんまり無理しないで。

9月21日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMail原文)

バド(補助人工心臓)は深夜の手術で10時間位病室には入れませんでした。なので控室で朝を迎えました。早くて昨日の夕方に目覚めると聞いたの夕方から病院にいます。目覚めたのは明け方でした。今はチューブも取れ、氷を食べてます。ドクターも順調だって!

9月19日(母:乃里枝さん→父:浩さんへのMailより)

妻からメールが届き本日急遽補助人工心臓装置を入れることになったそうです。
したがって2度の大きな手術を乗り越えなければならなくなりました。
無事成功することを祈るだけです。

9月16日昼

羽純さんは、ワシントン大學メディカルセンターへ無事に到着致しました。

9月15日

羽純さんは、東京女子医大病院 布田伸一医師ら医療チームと共に、17:50成田よりシアトルへ向けて出発致しました。
無事に出発させてい頂くにあたりご協力を頂きましたこれまでのご支援の方々、
医療関連及び、政府・自治体、警察、航空関連の方々へ感謝致します。
しかし、目標金額には達してはおりません。
引き続き皆様の暖かな羽純さんへのご支援と活動をお願いいたします。

9月12日

羽純さんのアメリカへの渡航は、9月15日(木) 夕方発の便にて向かうことが決まりました。
シアトルのワシントン大學メディカルセンターへと向かいます。
目標金額には、まだまだ達していないのですが容態的に渡航の大役に必要な体力の
限界が存在します。彼女は、ドナーを待ちながらがんばる日々となります。
国内での羽純さんに対するご支援と活動を心よりお願いいたします。

2005年9月2日  父:浩さんからのMail

受け入れ先病院が決まりました
シアトルのワシントン大學メディカルセンターです
お世話になっておりますのにご連絡できなくてすいません
体調が急激に悪くなっており渡航を早めなければなりません
記者会見を9月7日にしようと思います
妻は本日も病院に泊まりになります。